仏教徒弾圧の歴史
世界遺産となった﨑津の潜伏キリシタン関連遺産のシンボル「カトリック﨑津教会」の渡辺隆義神父は、こう言いました。
渡辺隆義 神父
(カトリック﨑津教会)
「天草は、よくキリシタン弾圧の島といわれますが、実際にはキリシタンが天草に伝来した時、天草にあった日本古来の神社や寺院をキリシタンが弾圧して、そこにキリスト教会を建てた歴史があります。
だから、決してキリシタンだけが弾圧された被害者ではなく、キリシタンもまた神道と仏教を弾圧、迫害した歴史があることを踏まえて、天草の歴史を見ることが大切です。」
ここに天草の秘められた歴史があります。キリシタンが弾圧されたばかりではなく、実は逆にキリシタンが神道と仏教を弾圧した歴史があったのです。
16世紀半ばに天草にキリシタンが伝来した時、﨑津集落に程近い河浦町今田に昔からあった寺院が建っていました。
そこに、キリシタン大名だった小西行長が天草にやってきて、その寺院を打ち壊し、本尊の観音菩薩像を川に投げ捨てました。
村人たちは領主がキリシタンに改宗したために半強制的にキリシタンに改宗させられたのですが、自分達のご先祖が代々拝んできた観音様が川に投げ捨てらたことに心を痛めて、密かにその観音菩薩像を川から救い上げたのでした。
そして、天草が70年に及ぶキリシタン全盛時代の間、ずっと隠れてその観音菩薩像を拝み続けたのでした。
現在、その観音菩薩像は、浄土宗観音寺のご本尊として祀られています。
どうして潜伏ができたのか?
江戸幕府の時代になり、キリシタン禁教令により今度はキリシタンが迫害弾圧を受けるようになりましたが、1637年勃発した天草島原の乱を境に、表面上天草にはキリシタンがいなくなりました。
ところが、幕末1805年「天草崩れ」という大事件がおこりました。その時、天草にはいないはずのキリシタンが5,000人以上も、﨑津、今富、大江、高浜に潜伏していたことが発覚したのでした。
その時は「心得違い」という穏便な処分で、誰一人処罰されることはありませんでした。しかし、表面上は神道、仏教の信徒を装いながら、実際にはキリシタンの信仰を頑なに守り通してきた人々がこんなに多く存在していたことは、日本の歴史上、驚愕に値することでした。
2018年6月30日、イコモスは天草の潜伏キリシタン関連遺産を長崎と共に世界遺産に登録しました。
世界遺産登録には3つの基準があります。1つ目は見える物の価値、2つ目は目に見えないものの価値、3つ目は両方を含む複合的な価値です。
天草の潜伏キリシタン関連遺産が世界遺産に登録されたのは、目に見える物の価値(例えば教会の建物や集落など)ではなく、目に見えないものの価値が評価されたのでした。それは禁教下にありながら、長年の間キリシタンが潜伏できたのは世界史上稀に見る独自の文化だったからでした。
そのことについて、渡辺隆義神父は、こう語りました。
「江戸幕府の厳しい禁教下で250年以上にわたり、キリシタンが潜伏できたのは決してキリシタン単独の力ではできなかったことです。
その地域に一緒に住んでいた神道や仏教の信者が、潜伏キリシタンの存在を知りながら、誰一人密告する者はなく、ずっと守ってくれたお陰でキリシタンが潜伏ができたのです。その意味で、私は神道や仏教のみなさんに感謝致します」
この言葉を裏付けるように、渡辺神父は2016年6月5日、天草にキリスト教が伝来して450年を数える記念の年、バチカンで福者に列せられたアダム荒川が富岡で処刑された6月5日の命日に、カトリック﨑津教会の聖堂で「神道・仏教・キリスト教の対話と平和の祈り」という記念行事を実施しました。
それは、過去の悲惨な歴史を見つめなおし、これから天草の人々と世の人々のために3つの宗教が大きな壁を超えて、共に祈りを捧げるという歴史的な行事でした。
同時に同年4月に起こった熊本地震の被災者への復興の祈りが捧げられました。
【神道・仏教・キリスト教の対話と平和の祈り】
﨑津教会の聖堂の場所は、かつて絵踏みが行われた所で、その場所で熊本市の健軍神社の神職による「浦安(うらやす)の舞」が奉納されました。「うら」は心を指す古語であり、「うらやす」で心中の平穏を表す語であるとされています。
天地(あまつち)の神にぞ祈る
朝なぎの海のごとくに波立たぬ世を
(昭和8年昭和天皇御製)
世界で始めての三宗教の御朱印
﨑津集落の潜伏キリシタン関連遺産が世界文化遺産に登録されてから1ヶ月後の7月29日(日曜日)に、「カトリック﨑津教会」と、隣接する「﨑津諏訪神社」と「普應軒(ふおうけん)」で、「世界遺産登録記念三宗教の御朱印」の初の調印式が、天草市民の代表として中村五木天草市長ご臨席のもとに執り行われました。
世界中で、宗教が原因で悲惨な内戦や戦闘が続く中、天草では450年にわたるキリシタンの悲劇の歴史を乗り越えて、諸宗教がお互いの教えを認め合い、融和しながら世の人々のために祈る証として「﨑津三宗教の御朱印」が発布されたのでした。
この御朱印は、3つの宗教の御朱印が一つになったものです。上のそれぞれの宗教の題字の上に、3つの御朱印を押して頂くことができます。キリスト教会の御朱印は、日本で初めてであると同時に史上初で、三宗教の御朱印が一つになったものも初めてのことです。
250年にわたり潜伏キリシタンが神様と仏様を拝みながら密かにキリスト教の祈りを捧げていたように、この御朱印帖を広げると、潜伏キリシタンが願って止まなかった争いのない平和な社会が実現する深い祈りの追体験ができます。
「﨑津3宗教の御朱印」専用の御朱印帖は、﨑津教会のすぐそばにある曹洞宗の普應軒で求めることができ、その場所で寺院と教会の御朱印を頂くことができます。