﨑津の御朱印のはじまり
2018年に世界文化遺産に登録された天草地方の﨑津集落の神道、仏教、キリスト教が、世界遺産を記念して三位一体の御朱印を発布しました。
もともと御朱印は、日本の仏教、神道の巡拝者が、納経の記しに頂戴したもので、その気持ちを御供させて頂くのが日本の文化です。
天草の﨑津集落には、250年にわたる禁教下にも関わらず多くの潜伏キリシタンが存在したのは、神道、仏教の信者が誰一人密告する者がなかったためで、世界史上このような歴史、文化は稀有ということで、ユネスコが世界遺産に登録しました。
﨑津集落にある曹洞宗の普應軒という寺院は、天草八十八ヶ所霊場巡りの札所の一つで、巡拝者はすぐそばにある﨑津教会と﨑津神社を自然な形で巡拝していました。
その﨑津集落のキリシタン関連遺産が世界遺産に登録されたことを記念して、三宗教が一つになった御朱印帖と御朱印を発布されることになりました。
一般的なキリスト教会にも記念スタンプは置いてありますが、御朱印が発布されるのは世界ではじめてのことで、しかも三宗教が一体となった御朱印は、とても貴重なものです。
世界人類の平和と幸福の祈りを込めて
かつてキリスト教が伝来した時、キリシタンに改宗した天草の5人の領主は、神道と仏教徒を弾圧し、寺社を焼き払い、その場所にキリスト教会を建てました。その後、幕府の禁教令により、今度はキリシタンが非業な弾圧を受けました。
時の権力者の都合で、信仰を迫害され続けた天草の人たちには信教の自由はありませんでした。
その後、天草島原の一揆以降、完全に殲滅したかに見えたキリシタンは実は神道と仏教の人々に守られながら、長きにわたり潜伏して存続していたのでした。
それは、宗教を越えた天草の人々の優しさに包まれて、かつては敵対していた宗教が時代を越えて融和したのが、潜伏キリシタン存在だったのです。
この御朱印は三つの宗教が一つに合わさったところに意味があり、それこそが世界遺産の価値を表したものです。
左の題字は、﨑津教会の「神は慈愛」というキリストの愛の教えそのものを表したものです。御朱印は、上に清廉なゆり十字の紋で、下には﨑津教会の聖堂正面の祭壇に刻まれているカトリックのシンボル「IHS」と刻まれています。
中央の題字は、「観世音菩薩」です。御朱印は曹洞宗(仏教)の普應軒の御本尊である聖観音のお姿です。潜伏キリシタンは、観音菩薩をマリア様に見立ててクルスを刻み、「マリア観音」として拝んでいましたが、神の慈愛とマリア様と観音様が一つにつながっていました。
右の題字は、「﨑津諏訪神社」です。御朱印は三つ葉の柏紋です。神道は、八百万の神々を敬い、すべてのものに神が宿ると手を合わせます。自然を拝んでも、仏様を拝んでも、キリスト様を拝んでも、すべてに神が宿ると信じる信仰です。このような和の文化が下地となり、天草では神道と仏教とキリスト教が融和していました。
また、それぞれの名称の角印が左下に押してあり、一番右端には、「天草﨑津三宗教の御朱印」の文字の真ん中に日付印が押される。