天草には、キリシタンが伝来する以前は、弘法大師空海の民間信仰が盛んに行われていました。
しかし、安土桃山時代に天草の五人の領主達がすべてキリシタンに改宗したため、その後、天草にあった神社や仏閣は壊されて、その跡にキリスト教会が建てられました。
天草島原の一揆後に、キリシタン禁教令が強化されキリスト教会はすべて取り壊されましたが、その後、鈴木重成代官と兄の鈴木正三僧侶により天草中に曹洞宗と浄土宗の寺院が建立されました。
その時に、鈴木重成代官は、天草を八十八ヶ所町村に分けて統治しましたが、同時に天草中の弘法大師信仰を庇護し、天草八十八ヶ所霊場巡りがはじまりました。
現在、京都の真言宗総本山東寺の公認による天草八十八ヶ所霊場巡りが復興しました。